【2001−1−25】
今日 冷蔵庫の整理をしていたら、次朗のくすりが出て来た。どうしても捨てられずに何時もの場所にちゃんとあった。思わず涙が出て来た。何時までたっても次朗を忘れることはないんだろうなと思った。次朗が星になった時から半年余り、しばらくは夜中に次朗をウロウロ家中探し回ったものだったが、主人共々随分落ち着いた様に思う。冨士・久磨も次朗がいない事に慣れて、元気になった様だ。日にち薬とはよく言ったものだナァとつくづく思う。
次朗はきっと星になって、私達が行くまで待っててくれるんだろうなぁ。待っててね!少し待たせるけど、いつかは次朗の所へ私達も行くからそれまでは少し寂しいだろうけどみんなが一緒だから大丈夫だよね。
【2000−10−2】
2000年 4月25日 明朝 私の腕の中で静かに永眠してから、早いもので五ヶ月がたった。
ある日曜日 次朗のお骨の2欠片をもって、主人と冨士・久磨とで室戸に出かけた。
生前 よく次朗とドライブに行った場所で、散骨をしてやるつもりだった。徳島市内からほんの2.3時間で、高知県の室戸岬まで行ける。
次朗と家族になって14年あまり 1番一緒に行った所だったし海が1番きれいだと思ったので・・・
小さな花と一緒に海に流した。最初は、全部してあげたら良いのだろうけどまだ そこまでの踏ん切りは、つかない。
冨士も久磨もこの日は、なぜか神妙な面持ちだった。判っているのか?判っていないのか?
次朗とは、どこでも一緒だった。写真をもっと撮っておけば良かったと思っても後のまつりだ。
特に旅行等の写真がほとんどないのが、実に残念!
室戸岬 四万十川 屋島 宇和島 ・・・ 水戸 湘南・・・ 数えればきりが無いくらいだ。日常では 割と撮っていたのだが、最近は、久磨と出かける時は、必ず デジカメを持って行くようにしている。
事務所の入り口に、今も次朗は、鎮座しているその下には、いつも久磨がねている。まるで そこに次朗と一緒にねているみたいに・・・
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