雪の中の冨士と久磨


2001-3-12 AM10:10 14歳2ヵ月の短い生涯を終えました。夫の次朗を追っていったのでしょうか?それとも 次朗が呼んだのでしょうか?元気だった冨士の急逝は、あまりにも突然で驚愕してしまいました。

 3月4日の日曜日 いつものように遠出の散歩をし、吉野川の河川敷で久磨と冨士は、ごきげんでした。ただ いつも喜ぶおやつのちくわを欲しがらなかったので、つかれたのかな?って思うぐらいでした。

5日の月曜日から 急に後ろ足が立たなくなり、散歩も本人が思うように出来なくなりました。年といえば、そうなのですが 冨士のあまりにも早い衰えには、びっくりし又 冨士の獣医さんは、去年の乳ガン手術の後体中にガンが残っていることは、聞いてはいたのですが それでも信じられませんでした。

冨士も次朗と一緒で糞尿は決して家の中ではやりたくなさそうでした。体が不自由な事さえ自分で信じられないようで、どうして私 動けないの?と 言うように私達に訴えるのです。プライドの高い冨士がおむつなどしてくれるわけもなく、次朗の時と同じように外に連れて行く毎日でした。食欲は殆どなく 口元にU口の吸い口で人参ジュースやミルク等を飲ませてやるのが精一杯の状態でした。嫌がる冨士の口の中に生牛肉を無理やり押し込んだりもしました。 
 ただ 久磨がそんな状態の冨士にベタベタ甘えているので、ゆっくりそれこそ、ゆっくり老いて逝くのだろうと思っていました。でも、それは甘い考えだったのです。3月9日から寝たきり状態に入り 痛いのか?動けないのが辛いのか?夜中は、1時間に1回ぐらい悲鳴のような声で呼ぶのです。

 卒業前で息子の知彦も帰郷しており 交代で冨士の様子をみる毎日でした。でも それは長く続きませんでした。12日の明け方から様子が違って来て冨士の意識があるのが哀れでなりませんでした。本人には、死は考えられなかったのでしょう。
久磨といえば、怖がって全然冨士の側に寄り付きませんでした。あぁ・・それは逝くのかもしれないと 親子三人で明け方からずーと側にいました。 これで最後なのか?早い!早すぎるよ!ふーちゃん!!

AM10:10 私の胸の中で、最後まで自分の死を信じられないように冨士は逝きました。最後まで意識があったのが良かったのか?悪かったのか?苦しませて逝かせてしまってごめんね。最後の幕はどう引いたら1番い雪の中の冨士と久磨2いのでしょうか?
 泣きながら 抱いて場所を移動してやるにも、冨士は全然持ち上がりませんでした。次朗はあんなに軽かったのに・・早過ぎるよ!ふーちゃん!息子に抱いてもらって、体を泣きながらお湯で拭いてやり
午後にお骨にしてもらいに 主人と行きました。近所の友人(メリーちゃんのママと大ママ)が最後にってお花を
持ってきてくれました。苦しかったね ふーちゃん・・

                残った久磨はさびしそうです。

                                        2001-4-12

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