久磨 飼主の独り言


              
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久磨と兄弟 
久磨は、12月20日の明け方に誕生しました。正確に言えば 19日の夕方から陣痛が始まって、最初の子が生まれたのは、23時過ぎ 久磨は三番目に生まれた。 犬は安産とは言うが、初めてのお産で結構 冨士は大変でした。父親の次朗といえばお母ちゃんとお散歩 産室の外に追いやられ、ドァの入り口でウロウロしていました。
 飼主の大失敗は、初めての子供で 冨士がちゃんと世話が出来ているのに手を出してしまい、結局は 久磨達は 父親の次朗 母親の冨私達家族三人が かかりっきりで大きくなったので 十歳を過ぎた現在もあかんぼ状態 ハスキーとは思えないぐらいの甘えたになってしまいました。
お兄ちゃんと 久磨が、5歳の時 8種混合ワクチンを接種した時 たまたま 徳島公園でバベシァが、大発生し 体が弱った久磨が感染し、命を落とす所まで追い込まれました。
 一ヶ月の入院の後 インターフェロンというお薬を死ぬま久磨と次朗とで打ち続けなければ、ならなくなった時 この子の命も ここまでかもと 諦めかかりました。其の年は、バベシァの大量発生で、久磨の兄弟も次々同じ症状で死に至っていましたし公園に来ている犬種でシェルティーは、ほぼ全滅ただいまドライブ中状態でした。元々 寒い地方の犬種です。暑い徳島での生活は大変だろうに・・・・・
 久磨が、インターフェロンを常用せずに治癒したのは、奇跡に近いと獣医の先生に言われた程まれだったようです。きっと久磨に体力があったのでしょう。それでも しばらくは食欲もなく 本当にガリガリ状態で体重は12キロまで落ちました。それまでは、29キロあったのですから もう見るも哀れな姿でした。良くぞ 10歳を超えてくれたものだと 久磨の体力に感謝しています。
 久磨は、甘えたで、誰にでもなつく子ですが それが仇になって行方不明になった事が良くあります。一番凄いのが、リードごといなくなった時ハスキーは、皆さんもご存知のとおり呼びが効きません。またかといつものとおり 警察 保健所 犬仲間 ポスターの作成 沢山の人を巻き込んでの大捜索!これでいつもは、見つかるのですが、三ヶ月たっても見つからず ウーン まいったな まだ体重も元に戻っていなかったので見かけも良くないし 事故等も考えていた時に、久磨の妹のママから電話なんと 彼女の近所のオジイチャンが飼ってくれていたのでした。
 彼女いわく オジイチャンが久磨をつれて散歩をし始めたのが 丁度三ヶ月前久磨にあまりにそっくりなので、「久磨」と呼んでも 知らん顔!もうすっかりオジイチャン所の子って感じだったそう オィオィって感じでしょう?彼女にもベタベタ甘えていたのに? 最初は彼女も凄く似ているけど違うのかもと勘違いするぐらいだったとか それでも連絡してくれて 行って見てびっくり!久磨本人だったから 「久磨 あんたなにしてるん?」 私の声を聞いて大喜び! オジイチャンから返してもらうのに苦労しました。随分 可愛がってもらっていたみたいで・・何というか・・マァ能天気なんでしょう
悲しい 次朗が、星になった時 久磨はお父さんっ子だったので、次朗をウロウロ探し回って現実が把握出来ない様でした。次朗が、体の調子が悪くなっていたのは自覚していたし、最後の時も側で、見ていたにも関わらずに・・
 次朗 が星になって 一ヶ月もしない内に 久磨の発病 腸ガン久磨と次朗とお兄ちゃん及び前立腺肥大? 睾丸摘出及び開腹手術 もう・・本当に生きた心地しなかった。幸い 手術は成功 この子も もう満身創痍 ボロボロです。いつ 又 どこかが 悪くなるんだろうけど 頑張ろうね。せめて 次朗の年は追い越してちょうだいね。最近は、段々と次朗のいない事になれた様です。
今は、次朗がいた場所が、久磨の定置となっています。久磨と暮らし始めてもう十年 これからも 色々楽しませてくれるのでしょう。

                              2000年 9月30日

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