次朗・飼主の独り言


                    次朗とスズキ
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幼い次朗 次朗が我が家に来た日は、6月 たまたま小学生だった息子と猫の餌を買いに
行ったペットショップで出会いました。親子3人がひとめ惚れ状態で衝動買いした事を昨日の様に思います。
次朗は、物凄くヤンチャな子で主人の部屋の壁
を破ったりベットをバラバラにしたり、後から来た大きなヤンチャ坊主に猫3匹は(太郎・花子・桜)パニック状態!どうしようもなく 猫達がなれるまで、主人の部屋にしばらく 閉じ込め様子をみたほどでした。
先に一緒にいるシェルティーのレディ
とは結構仲が良かったので よっぽど次朗がヤンチャだったのでしょう。皆が、マァマァ次朗のアップ おちついてきたのは、次朗が1歳になった頃でした。
それなのに 性懲りも無く 次朗のあまりの可愛さと一生独身もかわいそうと1つ違いの冨士をお嫁さんにと、迎えました。猫達は、もう慣れたのか?諦めたのか?レディは、いいおばあちゃんで(相手にしていなかった)した。ヤンチャ坊主が大人しくなったのは、3歳過ぎぐらい 丁度 最初子供達・久磨を先頭に5匹の父になった時でした。父親の自覚が芽生えたようでした。
次朗と子供達それから しばらくの間は、元気で病気しらずでした。次朗が老いるなんて考えも しませんでした。其の間には、レディ・太郎・桜・花子とよる年には勝てず星になり 気がつくと、次朗一家が 我が家の中心に鎮座していました。でもそれは、突然来ました。
 次朗11歳の夏 糖尿病を診断されたのです。
息子の久磨が、バベシァで死にかけたり 友人の所にいる久磨の妹 マリンが糖尿病になったり マリンの夫 リュウ  久磨の弟 が相次いでバベシァで星になったり元気な次朗・・周りのハスキーも、徳島の気候が合わないのか、次々 病気を併発していたので、3匹の健康には常に気をつけていただけに、ショックでしたが この時インシュリン治療を受けるか?自然にまかせるか?
で家族で相談治療を受ける
事にしました。ハスキーが血統的に弱いのでしょう。娘のマリンもありがたいことにインシュリンを手放す事は出来ませんが現在も元気です。糖尿病の治療もなかなか大変で、朝夕尿試験紙を調べ(糖が出ていないかどうか)インシュリンを打ち食事を管理し
(これが1番むずかしい)闘病日誌をつける
単純で終わりのない闘病生活でした。そんな毎日でも次朗は元気でした。
 私達とつりについて来て あじ等の小魚を盗み食いしてみたり 川
に泳ぎに行ったり
息子の下宿先(水戸)までインシュリンをクーラーにインシュリン詰めて行ったり(これは遠すぎると獣医さんには止められましたが決行しました。今思えば無茶だったかもしれませんが、元気な内にどこにでも連れて行ったものです。いつどうなっても悔いが無い様にとの思いもありました。
病気をしていてもずっと元気
でいてくれると信じていました。でも それは突然やって来ました。今年の1月末から肛門が裂けて血が止まらなくなり、老人用のオムツパンツを使用し毎日薬を塗りつづけました。尻尾に血種が出来て裂けたり 糖尿病の合併症かと思いましたがそうではなく もうすでに白内障を併発して目は見えなくなって2年が経っていましたが元気でした。肛門 尻尾は再発したり 治ったり オムツパンツが手放せなくなりましたが元気でした。
後ろ足が少し弱って散歩が辛いのかなと、やめようとしても承知しません。
しかたなく 胴輪を前足 後ろ足前後につけて 次朗の後ろ足に体重がかからない様にし 散歩をしていました。それおむつの次朗でもゴキゲンでした。動けないというのはプライドがゆるさないのでしょうしかし、4月22日に急に後ろ足が全然立てなくなり獣医さんに連れて行こうかどうか 迷いましたが、末期が来ている様な気がして連れて行きませんでした。入院中に逝かれるのが嫌だったからです。甘えたで一寸入院しただけで円形脱毛症になってしまう様な子です。最後まで抱いてやりたかったのです。22日から動けなくなったのですすずきと次朗が、プライドがあるのかどうしてもオムツに尿は勿論 便も決してしませんでした。1.2時間事に抱いて外に連れて行く毎日でした。オムツでしてほしいと思いましたがどうしても嫌がったので1階の台所で次朗と一緒に寝るようにし、介護をしました。オムツにしてくれるようになったのは2日後、あぁこれで何ヶ月でも介護が出来ると思いましたが、こんなに早く急変するなんて思いもしませんでした。今思うと力尽きたのでしょう。
食欲は、無くなって来ていましたが、主人が釣ってきたスズキのおさしみ(1番の好物)を朝まるまる食べたので・・・安心していました。夜12時に仮眠している時、次朗の走る音で目が覚めました 歩けなかったのにと飛んでいったら意識が無くなる直前でした。次朗が呼んだと思いました。  主人も起きてくれて4月25日明け方3時20分に眠るように私の腕の中で逝きました。
14歳11ヶ月でした。

                                    2000年 9月22日


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